鹿児島の「酒鮨」
昔、妙見温泉の「おりはし」に半月ばかり滞在した時、女将さんがある日「酒鮨」を分けてくれた。
米の飯に色々な生の魚を入れ、紅い地酒をかけたもので、西郷さんの好物だったという。酒はかなり甘く、不思議なものだと思った。
昔、妙見温泉の「おりはし」に半月ばかり滞在した時、女将さんがある日「酒鮨」を分けてくれた。
米の飯に色々な生の魚を入れ、紅い地酒をかけたもので、西郷さんの好物だったという。酒はかなり甘く、不思議なものだと思った。
南千住の素盞雄神社の並びに、数年前まで「丸万」という鮨屋があった。古い造りで、付け台は昔風の黒い漆塗りだが、あちこち禿げちょろけている。ネタは甚だ悪いが、店主はわたしの中学校の平戸先生(音楽の先生)に似ているし、握り方はまあまあなので、小腹が空いた時、鉄火巻を食べに行った。
キンカ頭のおかまの老人が始終酒を飲んで、泣いたり愚痴を言ったりしていた。この人は何も食べず、いつも大きな握り飯をこしらえてもらい、持ち帰った。
ある時、正月に行ってみたら珍しく仕入れが良く、大きな蝶が羽ばたくような、立派な赤貝を食べさせた。この店にも昔は栄華があったのだろうと思った。
思い出すのは関西大震災の前、A氏と神戸で飲み歩いた末、夜中に氏の家の近所の鮨屋に入った。店は二階。狭いカウンターに坐り、暗い電燈の下で鮪と穴子の握りを食べた。
あの店も地震でなくなったそうだ。
昔、父と韮山の療養所に祖母を見舞いに行った時、韮山からタクシーで山越えして、伊東で昼食を食べた。私は山で車に揺られて気持ちが悪くなったけれど、鮨を食べたら治った。それが「蛇の目鮨」だったが、もうやめてしまった。
秋に伊豆の下田温泉へ行った時、駅前の寿司屋に入ったら、「秋刀魚寿司」という品書が目に留まった。
その時は頼まなかったが、宿に近い「幸寿司」で、この寿司に使う秋刀魚の甘酢〆を食べた。隣の町で、秋にとれた蜜柑などの柑橘類を使ってこしらえるという。山によって果物が違うので、味も風味が異なる由。
昔、渋谷の「天芳」の旦那がつくった漬鮪(づけまぐろ)の握り鮨は、安い鮪を使っていたが絶品だった。あれ以来、美味いと思う漬鮪にめぐり合わない。
私は東京の人間だけれども、東京のある種の甘ったるい食品が嫌いである。稲荷鮨は普通に売っているものは食べられぬ。干瓢巻きも同様である。
昔、中学生の頃、平野威馬雄主催の「お化けを守る会」に出たら、弁当を手渡されたが、中身がお稲荷さんと干瓢巻きだけだった。私は一つも食べられずに空腹を忍んだ。
大人になってから、私にも食べられる干瓢巻きがあるのを知った。干瓢が甘すぎず、凛とした上等の海苔を使って、香り高い山葵をきかせたものは、食べられるだけでなく好きでさえある。
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