瀬見の「弁慶飯」
最上町の瀬見あたりでは「弁慶飯」という物をつくる。
握り飯に甘口の味噌を塗り、菜っ葉で包む。菜っ葉は青菜(セイサイ)といい、漬け物にもする。お年寄りはこの菜っ葉を「からす菜っ葉」と呼ぶそうな。
最上町の瀬見あたりでは「弁慶飯」という物をつくる。
握り飯に甘口の味噌を塗り、菜っ葉で包む。菜っ葉は青菜(セイサイ)といい、漬け物にもする。お年寄りはこの菜っ葉を「からす菜っ葉」と呼ぶそうな。
昔、画家のK村夫妻が日本へ来た時、銀座のおでん屋「やす幸」で御馳走してくれた。
おでんを食べたあと、K村さんは茶飯を注文した。まるで長年の眷恋の味にめぐりあったとばかりに、嬉しそうな顔でパクパク召し上がっていたのが忘れられない。
渋谷の百軒店にあった「喜楽」というラーメン屋は今もあるかどうか知らない。ここはラーメンも良かったが、豚マメの入っている中華丼が美味かった。具を高温の油でサッと炒めるからで、中国料理という感じがした。
千住大橋の近くに「六車(むっつぐるま)」という角店の食堂があり、行くと、いつもビデオの「大岡越前」や「水戸黄門」がかかっていて、おじさんたちがチューハイを飲んでいた。
この店のカツ丼は南千住界隈で一番美味かった。焼き飯も好きだったが、もうやめてしまった。
くさやは臭いと聞いていたが、居酒屋か何かで初めて食べた時、何だ、子供の時食べたものだと思った。 祖母が好きで、茶漬けにしていたのである。くさやをむしって御飯にのせ、醤油をほんの少し垂らして、お茶漬けにする。美味い物である。
昔、「雪国」のおババたちと私の仲間で花見をした。
わたしたちは酒だけ持って代々木公園へ行く。おばさんたちは鰹のタタキに筍御飯のお握りをたっぷり用意して待っている。
鰹のタタキはあの時の味が一番印象に残っている。
昔、水道橋の駅から古本屋街へ向かってゆく途中、向かって右の路地を入ったところに「山田食堂」という食堂があった。
腰のあたりまでタイル張りにした、古めかしいが清潔な店で、カツ丼が美味かった。
学生時代、本郷通りの「巴屋」という蕎麦屋を気に入っていた。
毎度蕎麦をつるつるとやるのだが、一度だけ親子丼を食べたことがある。鶏も良し、卵の火の通り加減も良し、三つ葉の香りも良くて今に忘れられない。
新庄は「鳥もつラーメン」を名物にしているが、新庄駅のホームで売っている「鳥もつ弁当」が仲々美味い。
本郷三丁目の湯島寄りの角に、「船満」という中華屋の建物だけがまだ残っている。小さな二階屋で、営業をやめて久しいが、学生時代によくここの中華丼を食べた。店はいつもサラリーマンのお客などで流行っていた。
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