「アルプス食堂」の肉豆腐
東京の下町には肉豆腐のうまい飲み屋が沢山ある。浅草の「アルプス食堂」のも仲々良い。
東京の下町には肉豆腐のうまい飲み屋が沢山ある。浅草の「アルプス食堂」のも仲々良い。
今はどうか知らない。昔、北温泉に滞在した時、帳場の前のテーブルに、台湾風の茶葉蛋が大きな器に入れて置いてあった。セルフサービスで、一個二百円だったと思う。
毎晩寝る前、この玉子をつまみに自動販売機のビールを飲むのが楽しみだった。
昔、本郷三丁目の交差点近くの裏道に「大松」という小料理屋があった。いつも機嫌の悪いおやじとおかみさんの老夫婦で経営していた。刺身も鍋物もうまく、しかも安くて、大学院時代に愛用した。
ある時、仏文科のS川先生と話している時、この店が話題になった。
「あそこの土瓶蒸しは、ほんとの松茸の香りがするんですよね」
とS川先生はしみじみ言っておられた。
昔、たしか田沢温泉の「ます屋」で食べたのだったと思う。
茶碗蒸しの器の底の方に蕎麦を入れ、蕎麦粉とダシを合わせたようなものを加えて、上に卵を入れて蒸したもの。いわば蕎麦の茶碗蒸しだ。
本当は何という料理なのか知らないが、あれはオツなものだった。
初めてフランス料理を食べた晩のことを憶えている。
私は小学校の四年生で、フランスへ初めて行った。羽田の飛行場へは祖母や親戚がぞろぞろと見送りに来た。
学校の校長先生をしているT石のおじさんが私に言った。
「竹則、ありがとうってフランス語で何と言うんだ?」
「メアッシー」
「そう。それを良く憶えておけ。メルシーという言葉さえ知っていれば大丈夫だ」
たまたま知人の奥山さんという御夫婦が同じ飛行機でパリへ行くので、私の面倒を見てくれた。
向こうへ着いたその晩、かなり遅い時刻に、父と奥山夫妻とレストランに入り、私は音に聞くエスカルゴとビフテキを注文した。エスカルゴは私の口に合った。
帰国後まもなく、N永夫妻が、新宿の西口にあったフランス料理屋へ連れて行ってくれた。私はエスカルゴを食べたが不服で、
「日本のエスカルゴは御馳走じゃありませんね」
と言った。N永さんは衝撃を受けたと、その後四十年ほどしてから語っていた。
ある人が茨城の「味噌豆」という物をつくってくれた。
納豆を作る大豆を煮て、大きくふくらせる。それに芥子と刻み葱と醤油で味をつける。辛子は涙が出るくらい利かせた方が美味い。酒の肴にじつに良い。
暑い夏の日に思い出す。
子供の頃、よその家へ行くと、氷水に砂糖を少し入れて出してくれることがあった。
氷は少し冷蔵庫の匂いがした。
昔、渋谷の「オスン」というガーナ料理屋に、水戸から遊びに来たB君と一緒に行ってみた。
自慢の料理は「ペッパー・スープ」だが、たいそう辛いということだった。わたしは辛い物が好きだったし、B君は「キムチで鍛えたから大丈夫」と豪語していた。ところが、出て来たものを見てビックリ。色も味も、まるでタバスコのようだった。
翌日、便所で苦しんだことは言うまでもない。
子供の頃、家が日本橋だったから「べったら市」には何度か行ったが、べったらは嫌いだった。この漬け物も、塩味の漬け物と一緒に、ほんの一切れくらい小皿にのっているのは良い。
「中里」の豚バラ豆腐は、オタマを大きくしたような形の小鍋に玉葱を敷いて、豆腐と豚のバラ肉を加え、蓋をして強火で煮る。味は東京風の醤油の甘辛なり。
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