馬のレバー
亀有というところに何か良い物があるかと思い、ある日フラリと電車に乗って行ってみた。 二、三軒梯子をして、とある居酒屋で馬のレバーを食べたが、薄桃色で、牛レバよりもブキブキしていた。
亀有というところに何か良い物があるかと思い、ある日フラリと電車に乗って行ってみた。 二、三軒梯子をして、とある居酒屋で馬のレバーを食べたが、薄桃色で、牛レバよりもブキブキしていた。
新宿西口、ガードを越えてすぐのところに、以前「栃木屋」という山小屋風の造りの「ももんじい屋」があった。一度、幻想文学会の会長たちと行って、熊鍋、鹿鍋、猪鍋、鹿の刺身、狸汁などを食べた。
初めての熊鍋は白い脂身の部分が多く、その端に少しばかり焦げ茶色の肉がついている。鯨ベーコンのようである。匂いが強くて、まるで熊胆(くまのい)を食べているようだと思った。
今にして思うと、あれは「熊白」というものであろう。
博多の六本松には九州大学のキャンパスがあったが、今はよそに移転してしまった。その近くに「月川」という小体なもつ料理の店があり、仏文学者のM氏が連れて行ってくれた。
店は家庭的な感じで、席は少なく、浅草に昔あったお好み焼き屋のような雰囲気である。もつ鍋はキャベツと韮に各種のモツが入っていて、下ごしらえしてあるのを煮え立たせて食べる。一鍋食べたら、またお代わりをもらう。最後に入れる麺も仲々良い。
昔、上田の駅近くの飲み屋で「おたくり」というものをとった。馬の腸の煮込み也。
沖縄のおでんには、しばしば「てびち(豚足)」が入っている。わたしは「二十番」の近所のおでん屋で食べたが、トロトロに煮えていて、良かった。
かつて大勢で信州の鹿教湯温泉へ行った時、松本が実家のM君のお婆さんが亡くなり、お兄さんが旅館へ迎えに来た。M君は去り、お兄さんが土産に馬刺の包みをくれた。
「Mさんが馬肉になっちゃったーー」
とKちゃんが言ったのを今も忘れない。
馬刺は晩の酒の肴となった。
昔、原宿の「パレ・フランス」ビルの地下に「ヴァッシーアット」というトルコ料理屋があり、よく行った。
ある時、ここで珍しい物が出て来た。生の牛肉に赤唐辛子などをたっぷり加え、つみれのようにした物で、エジプト人のコックがつくったのだという。「チー・キョフテ」というらしいが、葡萄酒にもイェニ・ラークにも合った。
ベリーダンスを見ながら、そいつを食べるのはオツであった。
豚もつの煮込みを初めて食べたのは学生時代である。駒場東大前の線路の近くに「いろは」という細長い居酒屋があり、もつ焼きと煮込みを食わせた。煮込みは味噌味で、辛子がついて来るので、少し入れて食べた。
ホッピーというものを初めて飲んだのもここで、カウンターの上に空壜をズラリと並べたのを忘れない。
かつて山手線の新宿駅と新大久保駅の間に「彦左横丁」という小さな飲み屋街があった。電車に載っていると、窓から看板が見えるのである。
ここに「玉那覇」と書いた大きな赤提灯が下がっていて、首里の泡盛「瑞穂」を飲ませた。私はここでトロトロに煮たてびち(豚足の煮込み)にコーレーグスをかけて食べるのが好きだった。沖縄そばも美味かった。
店は後に風鈴会館の近所のビルへ越したけれども、いつのまにかやめてしまった。
昔、浅草国際通りに「埼玉屋」という居酒屋があり、幻想文学会の会長達と一度入ったことがある。
ここの桜鍋は「中江」や「みのや」と違い、甘辛でない味噌仕立てで、別種の風格があった。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |